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三人の木 座談会 其之拾 鷹を象徴するもの・・・

三人の木 其之拾 鷹を象徴するもの・・・



金鷹 「金鷹じゃよ。 久し振りじゃな~。 イエ~イ!」 (^^)/

銀狼 「何が、イエ~イ! だ・・・ 」

金鷹 「まぁ、良いではないか。 今回はのう、我が‘秦一族’についてのお話しなんじゃ。」

銀狼 「ほう・・・ それで何を話すつもりなのだ?」

金鷹 「色々じゃよ。 銀狼殿は、知能があるのは解るが、チト、厳しい所があるからのう。」

銀狼 「悪かったな・・・ 私はそなたの様にヘラヘラとは出来ん性分でな。」

◎金鵄 「話しが前に進まぬから、その辺にしておけ。」

金鷹「そうじゃな。 ハッハッハ。 今回は我が一族についての誤解や、言われについて話しをするぞよ。」

◎金鵄 「先ずは一族についてだ・・・。」


金鷹
我が一族はのう、最初に渡来して来たのは縄文時代の末期でのう、弓月君とか、応神天皇とかの時代よりも、遥かな前の時代なんじゃ。(日本という名も無い時代)
天皇はまだ居らん時代でな、天皇制度も無かった・・・。 元々は我が一族は、「権力」には興味は無かった一族なんじゃよ。
勿論、「支配」するのも、されるのも、かなわん話しじゃ。


銀狼
然り。 所が弥生時代になると、色んな国から色んな民族や種族がアチコチから渡来して来て、それぞれの土地を支配し、それぞれの国を作り始めた。
この国は、外国人の集まりの様になり、多民族国家と言っても良いだろう・・・。
やがて、それぞれの民族や種族は、それぞれに権力争いを始め出し、支配権の取り合いをする様になった。 言葉も違うし、文字も無い時代だ。 どんな事をしていたか? というと、

  仲間になるなら守ってやるが、 反抗するなら‘殺す’・・・

という事だ。 だから、この国は、殺し合いから始まっていると言っても良い。
我が一族も、支配されていた時代があるのだ。 そして、お互いに同じ‘秦氏どうし’で戦わねばならなかった辛くて、苦しい思いを乗り越えて、今が在る状態だ・・・。


金鷹
神社にしても同じ事が言えるのう。 我が一族の氏神の一柱である<稲荷神>は、全国に一番多い神社を数えるものと言われてはいるが、実際は支配下となった時の事と言えば、小さな祠にされて、神社の境内の片隅に追いやられてしまって、今でもそのままの扱いで、ヘタをすれば、神社や寺の裏側に、ひっそりと祭られていたり、或いは、境内の外に祭られて、そのままの扱いで現在に到っている所が各地にある筈じゃよ。 見かけた事があるじゃろ・・・?


銀狼
秦一族が祀っていた神とは、【造化三神】 である。 その神とは、

   アメノミナカノヌシノカミ、   タカミムスビンカミ、   カミムスビノカミ、

秦一族が最初に拠点としていたのは、北九州であり、豊国=トヨノクニ である。
最初に一族が伝えたのは、機織=ハタオリ ではなく、タタラの技法だ。(多々良)
これは錬金術の一つ。 鉱山のある所は拠点でもあり、採掘をしては、精銅、製鉄をやっていて、それらの技術を伝え広めた・・・。




この写真は、香春岳(かわらだけ)である。 一の岳、二の岳、三の岳、と、3つに連なっていた。 香春嶽の元々の名前は、「【鷹巣山】=たかのすやま」である・・・。
連なっていたこの山は採掘して一部は半分ほど無くなっているのが解る筈。 この無くなった部分は何処へ行ったのか・・・?  フフフフ、
それは奈良県だ。 今では世界でも有名になっている【奈良の大仏】になっているのだよ。
元々はこの山の頂上には、神を祀っていた。 時代とともに山から神は降ろされ、神社に祀られる様になった。 それが「香春神社」だ。 秦氏の祭祀族の‘赤染氏’による。


金鷹
北九州の香春町に在るんじゃが、元々は、鷹は高い所に巣を作るという事から、鷹巣山の天辺に神を祀っておってな、これが後に【三羽の鷹】を象徴する様になったんじゃ。(^^)
この‘三羽の鷹’は、同じ北九州に在る<英彦山神宮>の伝説にハッキリと由来や言われとして顕われているんじゃ・・・。
因みにこの神宮のある彦山も鉱山じゃよ。 伝説はのう、鹿狩りにあっていた鹿が矢に当たり、死んでしもうたんじゃが、その時、‘三羽の鷹’が現れて、死んだ鹿を生き返らせたというものでな、いかにも象徴的じゃろ・・・?




銀狼
これによく似た話しが鹿児島にもある。 「鷹ノ子神社」がそれだ。 その場所は、蛇がうようよと居て、三羽の鷹の子がそれらの蛇を食い尽くし、人が住める様になった、というものだ。




香春神社の近くの‘田川’という土地の名も、元々は、‘鷹羽’であった。 高見というのも鷹見である。 鷹巣という名の土地は多く、これらは、秦氏と関係していると思って良い。
まぁ、やたらと‘鷹’が多いのは、秦氏の象徴であるから仕方が無いのだが、それでは、何故?
鷹なのか・・・? という点だなぁ。



金鷹
次の鷹は、「八幡」じゃよ・・・。(^^)
‘八幡’というのは‘やはた’が正しい読み方じゃ。 この意味はのう、秦一族が大勢いる場所、という事で、土地の名じゃな。 幡は、秦の事なんじゃよ。(^^)
‘高木神’の御子の一人に萬幡媛という女神の姫がおるんじゃが、‘タクハタチチヒメ’というてのう、‘タク’とは‘織物’=おりもの の意味なんじゃ。 つまり、‘機織’=はたおり じゃな。
従って、‘織姫’=オリヒメ とも解釈出来るのう・・・ (^^)

銀狼 「鷹の話しは、どこへ行ったのだ?」

金鷹
おお、そうじゃった。 その八幡にのう、‘神’が現れたんじゃ。 それも金色の鷹の姿をして現れた。 それが‘八幡の神’と言われる様になった。 という訳じゃよ。(^^)
最初に降臨した所は、辛嶋郷と言われておる所でのう、正しくは、‘辛国宇豆高嶋’=からくにうずたかしま と言う。
この鷹の神(八幡の神)を最初に御霊鎮めをしたのが<辛嶋>の一族なんじゃ。 秦氏の祭祀族じゃよ。 解るかの? 最初は、宇佐ではなかった、という事じゃな。(^^)


銀狼
八幡の神も‘伊勢神宮’と同じく遷宮をしており、最終的に鎮座したのが‘宇佐’という事だ。
宇佐には、‘宇佐氏’という一族がいて、その先祖は、宇佐の国を築いた国造(くにのみやつこ)である‘ウサツヒコ’と、‘ウサツヒメ’の二人だ。
‘ウサツヒコ’の先祖は、‘高木神’であり、母方はと言うと、宗像三女神の内の‘イチキシマヒメ’の関係である。

‘ウサツヒコ’の氏神は、‘月読’である。 そして・・・
最初に宇佐で祀られていた神は、高魂尊’=タカマノミコト であった。 即ち‘高木神’である。 ‘ウサツヒメ’は? と言うと、神武東征の始めに、宇佐に来た神武天皇に婚姻し、一人の御子を産んでいる。


金鷹
因みに、八幡の神の鎮座した場所は、「鷹居社」じゃよ。 宇佐神宮を正面から拝む事で、その後ろの丘の上に在る鷹居社も拝んでいる事になる・・・ という仕掛けじゃなぁ。(^^)
しかし、
今では大神氏(三輪氏)の一族の権力によって、八幡の神は、応神天皇=誉田別命 になってしもうた・・・。
何処へ行っても<八幡神社>の祭神は、誉田別命になってしもうて、もはや戻しようがない。
八幡大神は、‘ハチマン’と呼ばれる様になり、応神天皇である・・・。
さらには、八幡大菩薩などという馬鹿げた状態にまでに変貌した。 権力とは恐ろしいのう。


◎金鵄
‘秦一族’は、建築技術も伝え、機織や、畑作(農業)、薬草、などなど、智慧と知識の文化を伝え広めた。 だが、色んな民族は、それぞれに支配を好み、権力を振るい、殺し合いは絶えなかった。 本物の天皇・・・ 後からの支配・・・ など、今のアマチュアの歴史家たちが様々な事を言っているが、そんな話しに左右されておっては、チト未熟じゃよ・・・。

天皇という名は、後に出来たものだが、それぞれの渡来して来た民族や、その種族たちは、それぞれの国を作り、それぞれの国には、国を代表する‘首長’が居た訳であり、それらが色んな国と権力争いをしながら、支配を繰り返して、大きくなって来た国々の代表たちが、やがてそれぞれに代表者の事を‘大王’=‘おおきみ’と呼ぶ様になったという事である。

大王(おおきみ)とは、天皇(てんのう)という言葉の前身である。 従って、沢山の天皇が居たというのが本当の事であり、後からとか、先にとかではなく、同時代に複数の大王=天皇が居たと言うのが、正しい解釈になる。

いつまでたっても、支配権を望み、権力争いは終わらなかった・・・
そこで、秦一族は、日向一族から神武天皇を天皇として即位させ、国々の殺し合いの権力争いに終止符をさせ、人々が平和に暮らせる国とする為に統一を計った。

天皇を日本の中心である畿内に置き、一族は全国に散って、全国に神社を建立して行き、敵国からの結界を張ったのである。


          つづく・・・
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