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秦氏の一族は最初は北九州に拠点を置いており、神武天皇は南九州と言われている。どちらも九州から始まっている様だ。大和東征の後、大和政権が始まるが、秦氏の最初の首長である「秦酒公(はたのさけのきみ)」は全国に広がって行った秦一族を招集して、管理をする役目を頂き、その首長である称号として<太秦>という敬称を与えられたと言われている。
<太秦>とは、今でこそ京都や大阪等の土地の名前になっているが、本来は地名ではなく、一族の頂点に立つ者の敬称として使われていたものである。読んで<UZUMASA>である。最も有名になったのは6代目の太秦と言われた「秦川勝(はたのかわかつ)」であり、聖徳太子の側近でブレーンの役目をしていたとされる。聖徳太子からは現在日本の国宝の第一号に指定されている弥勒菩薩の像を賜わっており、この像を安置する為に寺を建立した。この寺は最初は‘秦寺’とか‘太秦寺’等と呼ばれていたが、現在は‘広隆寺’という名で京都の太秦映画村の近くに存在している。
秦氏はその昔の日本全国の人口を記録していた文献の記録でも127県の人口を有しており、日本全体の3分の1の人口という膨大な数であったらしく、記録でも‘異常な数だ’と記されている。秦氏の一族が建立した神社や仏閣の数も物凄い数になるらしい。例えば人気の高い‘お稲荷さん’の神社の総本社である京都伏見の稲荷大社は秦氏の建立で、氏神と言われている。このお稲荷さん・・・ どれだけの数の神社が日本に存在しているのか? を考えると気が遠くなる。その次の八幡神社も全国に物凄い数があるらしいが、その総本社である‘宇佐八幡宮’も秦氏の建立で、しかも氏神である。三本柱の鳥居などは、奇怪なものだが、京都の広隆寺の近くにある‘木嶋神社’などは有名だ。松尾神社もそうだし、八坂神社もそうだ。まだまだ一杯在るがキリがないので省略する。鴨神社の賀茂氏の神社は、下鴨神社と上賀茂神社がセットで有名だが、上賀茂神社は秦氏の一族によって建立されている。この神社には‘糺の池’というのがあって、この池に入ると病気が治ったと言われている。
この‘糺の池’には、‘元糺の池’があり、それが京都の木島神社にあるのである。三本柱の鳥居は在るわ、ただすの池はあるわ・・・ 摩訶不思議と言えるが、「かいこの社」という名としても知られる神社であり、本来はコノシマニイマスアマテラスミタマ神社という名前の神社である。三柱鳥居は2度ほど修復されており、今では石造りになっているが、元々は木造で作られていた様だ。この話しは北斎の絵画の一つにこの鳥居が描かれているのがあるので、現在との違いが解る貴重なものと言える。この鳥居を修復しているのは誰か? と言えば、三越デパートによるものであるのが解った。その意外な理由は、三越デパートの前身が織物問屋で有名な‘越後屋’であるからだ。越後屋と言えば時代劇でもよく出て来るので有名だ。秦氏の一族の末裔である私としては、感謝するべき出来事であるし、意外な事に驚く話しである。機織を日本に伝えた秦氏の一族ならではの事ではないか?!
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