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神武天皇・・・

秦氏の一族は、歴史の裏で活動しているので、あまりその内容については知られていないと思う。まぁ、秦氏はどちらかと言えば、戦国時代の武将の様に、戦に勝って天下にその名を轟かそうなんて、野心や、野望は抱いていなかったと思っている。

さて、時代を大和統制(神武東征)に移そう。現在「平城京1300年」の記念となっているが、この<大和政権>の成り立ちに於ける、日本で最初の天皇である初代天皇=神武天皇が登場する。この天皇、実は渡来人である。しかも母親は‘秦氏’と言われているのだ!!

という事は、天皇家の陰では秦氏の一族が居て当然という事になるのではないか? という事である!! 神武天皇は、幾つかのエピソードを経て大和入りをしようとするが、道に迷い山越えがなかなか出来ない状態になった。で、神武天皇が難儀しているのを見ていた‘天照大神’と‘高木神’が八呎烏に命じて、これを助け、護衛して、大和入りの道案内として熊野から大和までの誘導をさせたと言われている。これによって神武天皇は大和に無事に辿り着く事になったのであった。

この‘八呎烏’(ヤタガラス)とは何ものだ? 神話というものは必ず実在した人物が居るものだ。或いはモデルになった存在が居るという事である。つまり、神話には‘からくり’がある。この‘からくり’とは、日本が「神の国」と言われる所以であり、天皇家の先祖が神様でなければならない理由が絡んでいるに違いない。では八呎烏に命じた‘天照大神’と‘高木神’もモデルである人物が存在していたと言う事である。ま、それはさて置き「八咫烏とは何者だ?」という課題に入ろう。

秦氏の居る所‘賀茂氏’あり。秦氏の一族と、賀茂氏の一族は深い間柄であるらしい。賀茂氏といえば、有名な人物が居る。それは今でこそ修験道の開祖と祭り上げられているが、役ノ行者(えんのぎょうじゃ)=役公小角である。秦氏も賀茂氏も葛城山に居た事が文献に記されていた。そして、ともに京都にやって来ているのだ。京都が京都として成り立つ前の時代であり、秦氏の一族はこの京都を開拓した事になっており、その当初は山背(やましろ)と言われていた。そして賀茂氏の一族は、都が遷都した時に御所の中の陰陽寮を司る陰陽師の家系と言われて、京都の街を方術で設計している。その賀茂氏の一族に弟子となったのが、あの安倍晴明その人だ。ま、これは平安京の話しなので、また今度にするが、例の神武天皇を護衛して、案内したあの‘八呎烏’の正体こそが、何と賀茂氏の一族なのである!! この八呎烏には‘大烏’という存在があり、これを‘金烏’=キンウと言う。神武天皇の弓の上に乗っかっている金鵄は別だ。実はこの金鵄は鴉ではなく、鳶であり、鷹や鷲の様な色彩で描かれている。その正体は賀茂氏の一族の祀る下賀茂(鴨)神社の祭神‘賀茂健角身神’ではない!! つまり、賀茂氏の一族の祖神はあくまで「八咫烏」であり、大烏=オオガラスなのである。

秦氏と賀茂氏は古代日本からのお付き合い。ルパンと次元みたいなものだ。おそらく、秦氏の情報として賀茂氏に神武天皇の援護を依頼していた可能性がある。実は賀茂氏一族は秦氏の支流の一族=秦氏の支族である。 つまり‘元秦氏’である。また秦氏の中にも‘元賀茂氏’が存在しているのだ。従って、賀茂氏は秦氏である・・・。従って、親族であり、同族なのだ。

因みに、秦氏の一族の象徴は‘鷹’である。一般に‘白い鷹’と言われているが、別の説では‘金の鷹’とも言われている・・・。
 
 
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