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始まりの秦一族・・・

秦氏の一族は、北九州の福岡と大分を又に架けた豊国(とよのくに)に<秦王国>として拠点を置いていた。

これは、土地の人の話しは信憑性があると思えるので、歴史との照合を基に考察出来るものと判断する。
後に「豊国」は豊前(ぶぜん)と豊後(ぶんご)に分かれる事になるのだが、その「豊前」の方に一族は居たらしい。

秦氏の一族は神仏の信仰が厚いとも言われており、神社や仏閣を建立した事でも知られている。従ってそういった建築技術も優れていた事で‘技能集団’ともされている。その一つである八幡さんを祀る神社の総本社で「宇佐八幡宮」と言うものがあるが、これがその北九州にあるのだから、此処に一族が居たと言う証明の一つと言えるだろう。

技能集団と言われたのは、これだけではなく、<錬金術>にも長けており、製鉄の技術も持っていて、後の時代にはこの北九州のこの付近は全国でも鉄の採掘場としても、鉄鋼関係にしても栄えた街として有名になっている。

勿論、秦氏と言えば、蚕の飼育から糸の製法から機織で絹の精製で有名だ。日本に初めて機織を伝えたのは秦氏と言われている。

建築技術を持っている技能集団であるから、機織機など作るのは朝飯前のことであろう。だが、この話しは後にしよう。北九州のこの時代の話しの流れではまだ早いので、順を追いたいと思う。

この時代は卑弥呼の居た邪馬台国だ。30の国を支配していたと言われているが、実際は百以上の国が存在していたとも言われているので、卑弥呼の邪馬台国も全国を支配していた訳ではない。

話しによると、求菩提山に渡来人が沢山居たという話しである。しかし、日本は<他民族国家>であるので、渡来人と言っても早く日本に来たか? 後から来たか? の違いである事を認識して頂きたい。早く渡って来た者が先住民族と言われているだけである。日本の歴史は2千6百余年であり、一般庶民は苗字である名前が無かった。太郎や花子とか次郎などの名はあっても、名の前は無く、苗字を持つ様になったのは江戸時代の律令があってからだ。だから5~600年位前に苗字を持ち始めた日本人は結局、遠い祖先は何処から来た何人?であったのか? という事だ。これを考えると現在の朝鮮人を差別視している人などは、その本人こそ朝鮮から渡って来た祖先の流れであるかも知れない事を知っておく事だ。


秦氏の全国ネットワーク・メンバー募集
arcadia@ksf.biglobe.ne.jp
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