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秦一族の渡来の背景・・・

秦一族の初渡来・・・

秦一族の最初に渡来して来た時代は、天皇はまだ居ない・・・。 

天皇制度がまだ無いからだ。 日本は存在しない・・・。
ではこの国は何だ・・・? 

この国は、中国大陸の領土であった。 その名も「倭」という。

邪馬台国の卑弥呼も大陸側に使いの者をやり、中国本土側から卑弥呼を女王として認めるという金印を貰い、女王として認めて貰う話しである。
だが・・・
それも‘邪馬台国’だけでの話しであり、倭の女王ではない・・・。

倭は、北九州の豊国(とよのくに)に‘秦王国’があり、現在の大分県と福岡県が一つの国であった。 いわゆる‘秦一族’の拠点である。

豊国は後に豊前(とよのまえ:ぶぜん)と、豊後(ぶんご)に分れ、今に到る。
秦王国があったのは文献によれば、瀬戸内の沿岸付近とあるので豊前の側に拠点があった。 だが実際には豊国全体に秦氏が居たのは言うまでも無い。

この時代、歴史で言えば‘弥生時代’である。 それまでの‘縄文時代’はと言えば、先住民はフンドシ一丁のほとんど裸同然の原始時代。 身体には刺青タトゥーを彫り、片手には槍を持って、獲物を追いかけていた。 

縄文時代の土器を見ると、明らかに弥生式の土器とは全く違うものだ。 
器や土偶はデザインがまるで別の物であり、縄文人のデザインの方が細かくて精巧に作られている。それに大して弥生式は‘ヌペーッ’とした作りだ。

日本人の先住民と言われている‘アイヌ人’は、文献には‘白人=しらひと’と記されている。 白人とは何か?? 謎であったが、調べて行く内にこの白人とは脱字の‘木’の文字があるのが判った。 白人とは、‘白木人’である。

先住民:アイヌ人は、白木人=シラギのヒトであった。先住民とは言うが、アイヌ人も渡来人である。

「倭」は他に奈良県の葛城山に‘葛城王朝’があった。 日本の古い氏族としてここには葛城氏の一族が拠点としていた。 葛城王朝は短くして滅んだと言われているが、葛城氏の襲津彦(そつひこ)によって、一時的に復活している。
が、結局滅ぶ・・・。 

秦一族の何度目かの渡来である弓月君の一団が渡って来た時代。
これは天皇が居るので、時代は倭の時よりも大分後になるのだが、その弓月君が連れて来たという秦一族がまだ新羅で足止めを喰らっていて渡来出来ないでいる話しにも登場しているのが、この葛城の‘襲津彦’である。

面白い話しのつながりである。 そもそも葛城王朝の襲津彦にとっては、天皇家など大したものとは思っていなかったのが本当の所だ。 新羅で足止めされている秦一族を連れて来ると天皇家に言って新羅に渡っているが、新羅に行って歓迎されて、そのまま帰らず、天皇家の怒りを買っているのだ。面白い男だ・・・。 
だが、それだけの権限があればこそであろうな・・・。
‘王権’を持っていながら‘自由な男’というイメージがある。

結局、葛城王朝を復活させながらも、それを滅ぼしたのもこの男である。
何とも言いがたい所があるが、この葛城王朝は滅んだとは言え、その血脈までは滅んだ訳ではない。 この滅んだ王朝の血脈から継承して出て来た一族がいるのだ。 それが‘蘇我氏’と‘賀茂氏’である・・・。
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